2011年11月29日火曜日

初滑り@Yeti

膝の調子を確かめるためにYetiのナイターに出掛けてきた。
15:00に家を出て16:30に到着。着替えをして17:00ちょっと過ぎから滑走開始。

ゲレンデ幅は公称14mしかなく、ボーダー99%、スキーヤー1%で混雑していたが、リフト待ちは2、3分程度で、例年のようなリフト待ちはなかった。群馬、新潟、長野のスキー場がオープンしたからお客さんが分散したからなのかも。
video

肝心の膝は、5~6本滑った辺りから疲労感が出始め、踵荷重やプルークがやりづらくなった。陸トレでは使わない筋肉に刺激が伝わったということだろう。アサマのような締まった人口雪には耐えられそうにない。明日からまた筋トレだな。

2011年11月27日日曜日

気仙沼大島

11月20日~25日の6日間、気仙沼大島にボランティアとして行ってきた。6社から35名が、関東周辺に加え、佐賀や四日市など遠路から参加。
気仙沼市内(本土)はトラックや路線バスの残骸が残ったまま。震災から8カ月以上経っているにも関わらず、まだまだ課題は山積みのようだ。大きな建物も解体されずに残っている。

フェリー乗り場付近の交差点には信号機が未だになく、警視庁のお巡りさんが交通整理をしている。

森進一の歌碑もこの通り。

地盤沈下のため道路を嵩上げしている。

広島から貸与されたフェリーが大島と本土を往復している。

大島の亀山(235m)から南方を望む。

亀山から西側の気仙沼市内を望む。

鳴き砂で有名な十八鳴浜(くぐなりはま)の砂も減ってしまったそうだ。

田中浜には瓦礫が分別されて山積みになっていた。

小田の浜も砂が波に持っていかれた。

2日目午後から元水産加工場の瓦礫撤去を半日しました。

3日目からは牡蠣いかだを作る作業のお手伝い。写真は土俵作りで1.5日で775個を作りました。

土俵作りの後は民家の跡地の片付け。きれいになったらなったで複雑な気持ちになります。

泊めてもらった民宿「海鳳」さんでの夕飯。松茸、刺身、蕎麦、マンボウの酢味噌和えなどなど、この量と毎日楽しく格闘してました。

あっという間の6日間。大島とお別れです。

宿の人たち、地元ボランティア隊の人たち、この後もボランティア活動を続ける人たち、たくさんの人たちがフェリー乗り場まで見送りに来てくれました。暖かいおもてなしに涙が出てしまいました。

復興までにはまだまだやるべきことが沢山ある。大島だけではなく、気仙沼市全体はもちろん、岩手~宮城~福島の広範囲に渡り、やるべきことは沢山ある。瓦礫の片付けだけではなく、復旧から復興へ何ができるのか、忘れることなく考え続けて行く必要がある。

2011年11月5日土曜日

蛭ヶ岳(塩水橋~丹沢山ルート)

ホントは丹沢山山頂がゴールのはずだったが、予定より早く山頂に着いてしまい、かと言ってまだカップ麺を頂く時間には早過ぎるので、欲張って丹沢山系の最高峰、蛭ヶ岳まで足を伸ばした。
(実はこれが過ちの始まりで、元気なはずだった左膝が復路でまた痛み出し、激痛に耐えながらの下山となったのであった。何事においても無理は禁物)

今回のタイムスケジュール(結果)は以下の通りだった。
7:30  塩水橋から塩水林道経由で登山開始
10:30 丹沢山到着
12:30 蛭ヶ岳到着、昼食
14:30 丹沢山に戻り
17:30 天王寺尾根経由で塩水橋到着

ここが林道入口。入り口の手前の道端に15台くらいの駐車スペースがある。

10分くらいで分かれ道。往路は右に折れて塩水林道を登ることにした。

青空なのだが山の上には雲がかかっている。この調子だと山頂での眺めは期待できそうにない。

ここまでは舗装路だったは、堂平雨量観測所から山道に入る。

3時間で丹沢山山頂に到着。まだ10:30。昼飯には早い。予想通り霧で何も見えない。

欲張って3.4km先の蛭ヶ岳をめざす。この辺は笹に覆われている。天気が良ければ…。

12:30 蛭ヶ岳山頂に到着。丹沢山系の最高峰、1673m。本日の標高差は1260mなり。丹沢山山頂からの距離はそれほどではないが、足が痛み出したのと、途中で水場まで寄り道したため2時間もかかってしまった。ここからの帰りは膝の痛みとの闘いだった。

今日のコースはブナ林がほとんどで既に落葉済み。所々に紅く染まったカエデがあった。